感動したい

【フリー小説】毒酒 #2

毒酒

目次へ戻る

「この間は、すまなかった」

社長の大久保は静かに頭を下げた。

「いえ、こちらも申し訳ありませんでした。状況を見てこちらから対応すべきでした」

「大声で社員を怒鳴ってしまっては、社長も何もないな……」

「僕もかっとなって妻に怒鳴ってしまうことは、よくあります」

かっかっか、と大久保は笑った。笑い方は社長の特徴のひとつだ。

「さあ、飲め飲め。社長に接待は禁止だからな」

「ええ。社長ももっと飲みましょう」

「オレは糖尿病予備軍だから、そんなに飲めないんだ」

「そうなんですか」

すると、大久保は神妙な面持ちになった。

「……佐藤君は自分が死んだ後のことを考えているか?」

「自分が死んだ後、ですか?」

「大切な家族がいるだろう」

卓は真っ先に麻衣の顔を思い浮かべた。もしオレが死んだら、麻衣はどうするのだろう。実家にでも帰るのだろうか?

「今は、何というか、いまいちピンとこないというか……よくわかりません」

「生活のことが心配にならないか?」

「はい。おそらく妻は実家に帰ると思いますが、お金が心配です」

大久保はしばらく黙って言った。

「生命保険に入っていた方がいいぞ」

「……」

卓は入っていなかった。必要ないと考えていたからだ。しかし、それは独り身時代の話で今はそうではない。卓はうつむいて考え込んでしまった。

「会社でサポートしているプランがあるから、それに入るといい。どうだ?」

「……分かりました。少し考えてみます」

「そうか」

大久保は安心したように酒をあおった。

卓はパソコンで生命保険について調べていた。時間がないので、昼休みを削っていた。

「終身保険がいい。少し高いが一生、保証してくれる」

大久保の言葉が脳裏に浮かぶ。

以前は反省しているか疑ったものだが、どうやら本当らしい。加えて、いち社員の将来のことも考えてくれる、いい人だ。

「おい、卓。飯行こうぜ!」

肩を叩かれた。とおるだ。

「おう。ちょっとだけ待ってくれ」

「なになに、生命保険か。結婚したからか!」

「一応、将来のことも考えとかないとな」

卓はパソコンを閉じると、席を立った。

「オレもそろそろ、独り身卒業してーなー」

「透はすぐ結婚できるさ」

「恋人すらいねーのに。というより、出会いすらねーよ」

「こういうのは、いい人に出会おうとするから、うまくいかないんだよ。物欲センサーってやつ」

「うーん。そういうもんか」

透は卓の同期だった。同じ部署で、一文字名前という共通点もあって、すぐに仲良くなった。透は卓と違って明るく、ひねくれていない。少し不器用だったが、それもまた彼の良い所だった。

卓たちは食堂の席に着いた。

「卓、社長と飲みに行ったのか!?」

「しー。声がでけえよ」

食堂は混雑していて、誰が聞いているかわからない。

「なんで? 仕事の話? おまえそんなにすごかったのか?」

「違う違う。社長とちょっとしたいざこざがあって、それを謝りたいって向こうから言ってきたんだよ」

「いいなー。社長と一緒に酒だなんて、うらやましい」

「そうか? オレはこんなところさっさと辞めたいんだがな」

それにしても、思い出すだけでも腹が立つ。胸ぐらつかむことねえよな、普通。あの食い殺すような目も異常だ。

「まあまあ。仲直りしたならいいじゃんか」

「それは、そうだが」

そうだ。仲直りしたんだよな。した……よな?

なんだ? この腑に落ちない感覚は。

「じゃ、職場戻ろうぜ!」

「お、おう」

かっかっか。

大久保の笑い声が遠くから聞こえたような気がした。

職場に戻るとすぐに卓はメールを開いた。厄介ごとはさっさと片付けてしまいたかった。

すると、一通のメールが目に入った。

「これは……?」

初めて見るアドレスだった。よく読んでみる。

卓はその内容に驚いた。

《佐藤さん いつもお世話になっております。社長秘書の中川です。

先日の大久保のご無礼、誠に申し訳ございませんでした。

お詫びにつきまして、本日の定時過ぎに少々お時間いただけますか。

応接室にてお待ちしております》

社長秘書からメール? 社長ならまだしも、秘書からメールが来るなんて。

それよりも、和解はすでにできているはずだ。ここまで、この件にこだわるのはなぜだ?

わからない。

とにかく言われた通りに行くしかないか。

卓は不安を抱えたまま、仕事に取り掛かった。

「先日は大変申し訳ございませんでした」

応接室の中川は頭を下げた。艶のある髪がしだれ柳のように垂れる。

中川咲。社長の右腕を務める敏腕秘書。その美貌は社内でも有名だ。

「顔を上げてください、中川さん。あなたは悪くないですし、社長との和解もできています」

「いえ、私の不手際で起きたことです。あなたに一報入れておけば防げた話です」

中川の手が震えた。なにもそこまで反省しなくても。

「今夜、お時間ありますでしょうか?」

「ええ、ないことはないですが……」

その日はたまたま仕事の区切りが良かった。

「お詫びと言ってはなんですが、おいしいところを紹介させてください」

「え!? いや、いいですよ。そこまでしなくても」

「お願いします。でなければ私の気が収まりません」

ええ……。

断ると、彼女が泣いてしまいそうな雰囲気だった。

美人秘書を泣かせたとなると、何か誤解が生じかねない。そう思った。

「ああ。もういいですよ。付き合いますから」

中川の顔がぱっと明るくなる。

「ありがとうございます。では、七時半。ヒルズ前でお待ちしています」

ヒルズ前!?

鼻血が出そうになった。高級レストランに行くつもりか!?

それに、その近辺は予約をしなければいけないはずだ。初めからオレが同意することを予測していたみたいだ。

驚きに鼻を押さえていると、中川は席を立ち一礼し、満足げに応接室を出ていった。

次話

ABOUT ME
ぱっちー
ども、チャチャタメの管理人でございます。