感動したい

【フリー小説】夢消しゴム

夢消しゴム

彼と同棲し始めて、二年がとうとしていた。

彼はテレビゲームに夢中だった。

「くそっ。全然勝てねー」

そう言うと、手に持っていたコントローラーを投げ出した。そして近くの財布をポケットに入れ、玄関へ向かった。

「ちょっと、どこ行くのよ」

さ晴らしだ。あと軍資金集めもかねてな」

ぶっきらぼうに言って、彼は出ていった。おそらくパチンコだろう。

私はため息をついた。軍資金集めと言うが、一向に溜まる気配がない。金を集めているのは、休日を返上してパートに勤める私のほうだった。

バンドで有名になると言って上京してから、彼はまるで成長していなかった。熱意に負け一緒に来たものの、夢が叶う気配もなく、生活は日に日にひどくなっている。

私は何度も彼を説得した。お金について、将来について、夢について。

しかし、彼は真剣に考えくれなかった。夢に向かって人一倍頑張ることもなく、それでいて夢をあきらめる様子もない。

ただ、どうしようもない日常を送っていた。

「現実を見てほしいものだわ」

私はもう一度、深いため息をついた。

ある日。パートから帰ってきていつものように家計簿とにらめっこをしていると、玄関のチャイムがなった。宅配だろうか。

玄関を開けるとそこには、中年のサラリーマンが立っていた。小太りで、目は細く、顔にうすら笑いを浮かべている。怪しそうで、気味が悪い。

「奥さん、お困りですか」

「セールスならお断りします……!?」

玄関を閉めようとしたが、サラリーマンは一歩前に出て、それを体で防いだ。

「あなたのパートナーを現実に戻せると言ったら?」

ドアノブの手がゆるまった。どうしてそれを?

サラリーマンは続けた。

「やはり、そうでしたか。ええ。そのような気がしたのです」

「どうすれば、彼に現実を見てもらえるのでしょうか」

「簡単です。ええ。実に簡単」

「早く、教えてくれませんか」

「ええ。では早速、お見せしましょう」

そう言うと彼は、黒々とした手提げカバンから何かを取り出した。そして、私の前に握ったこぶしをゆっくり持ってくると、それを開いた。

「これは、夢消しゴムと申します」

サラリーマンの手のひらに乗っていたのは、ひとつの消しゴムだった。一見ごく普通の消しゴムで、違っていることといえば、表面に見たこともないロゴが描かれていることだ。

「夢消しゴム……?」

「ええ。寝ている彼のひたいを、これでこすってごらんなさい。すると、あら不思議。彼の夢はキレイさっぱり無くなって、翌朝、現実主義になっているのです。ええ」

そんなまさか。

私は疑った。これは新手の詐欺に違いない。

「すみません、やっぱりお断りします」

しかし玄関を閉めようとすると、またしてもサラリーマンはそれを体で止めた。

警察に通報しようかしら。

「お気持ち、わかりますよ。ええ。怪しいというお気持ちは」

「それはそうよ。信じるほうがどうかしているわ」

「ではこうしましょう。一週間、これをお貸しします。お代はいりません。ええ。いわゆるお試し期間です。そして一週間後、こちらにまた伺います。そのとき購入なさるか、ご検討ください。ええ」

サラリーマンは夢消しゴムをそっと手渡すと、一歩身を引いた。

「では、またお会いしましょう。それまでごきげんよう」

バタン。

はっとして玄関を開けたが、彼はすでにいなくなっていた。

私は手のひらの消しゴムをみた。やはり普通の消しゴムだ。これを彼の額にこするだけで、頑固な夢を忘れてくれるのだろうか。

しかし、このままだとジリ貧なのは確実だった。私はひとまず試すことにした。変わらなかったら、すぐに返してしまえばいい。そんな軽い気持ちだった。

夜もけた頃、私はいびきをかいて寝ている彼のもとへ向かうと、夢消しゴムを取り出し、その額をこすった。

しかし、何も変わった様子はなかった。これで都合良く忘れてくれたら、苦労しないわ。私は自分がしていることに虚しくなり、そのまま床に就いた。

翌朝。目が覚めると、彼はパソコンを一心に見つめていた。どうやら調べ物をしているらしい。

「どうしたの。調べ物なんて」

「バイトすることにした」

私は彼の言葉に驚いた。あの彼が急にバイトだなんて。

「嬉しい。でも急にどうして」

「いや。おまえに働かせてばかりじゃ、ダメだよなと思って」

昨夜の消しゴムのことを思い出した。本当に、彼を現実主義に変えてしまったのね。

私は彼にそっと抱きついた。

それからというものの、家計はみるみるうちに回復した。一週間後に来たサラリーマンにはお礼を言って、夢消しゴムの代金を支払った。彼はあの時と同じように、にやにやと笑っていた。

夢消しゴムは決して安いものではなかったが、将来のことを考えるとたいした金額ではなかった。

そして、ある夜のこと。私と彼はレストランの席についていた。窓からの景色がよく、雰囲気がいいレストランだった。

彼は以前から私に伝えたいことがあると言っていた。これはもしかすると、もしかするのかもしれない。私は気分が高まった。

「なあ。オレ、決めたことがあるんだ」

「うん」

私は続きの言葉を待った。少しの沈黙が長く感じられる。

「漫画家になる」

「うん?」

「オレ決めたんだ。すごい漫画を描いて、有名人になる。そしてお金持ちになって、立派な家や車をそろえるんだ。どうだ、考えるだけで楽しいだろう」

「ちょ、ちょっと待って」

「どうした」

「もしかして、伝えたいことってそれ?」

「おう。そうだけど」

「え、だって今まで堅実にお金を貯めてきたじゃない。今から、また違う夢を追いかけると言うの?」

「またって、これが初めてじゃないか。オレの夢を応援してくれないか。なあ、頼むよ」

私は呆然とした。

あの夢消しゴムは、彼を現実を見るように強制するものではなく、今ある夢を消すだけのものだということを知った。夢を見ること自体は、消すことができない。

「まあでも、そうね。何か始めているの?」

「いや、これから。まずは軍資金集めからコツコツ進める」

「そう。私も協力するわ」

嫌な予感がしたが、彼もバイトで変わっているだろうと思い、それを容認した。

しかし、嫌な予感は的中した。彼はいつしか夢に忙しいという理由でバイトを辞め、さらに面倒だという理由で漫画家をあきらめていた。

そしてまたしても、家計は傾き始めた。

気づけば私は、寝ている彼のそばに立っていた。その手に夢消しゴムを握りしめて。そして、彼の額を思い切りこすった。

「これで、大丈夫よね」

翌朝、彼は漫画家の夢を忘れ、違うバイトを探し始めた。しかしそれも長くは続かず、今度は映画監督になりたいと言う。今度はさすがに止めたが、彼は聞く耳を持たない。ついにはまた、夢消しゴムを使う羽目になった。

それは幾度も繰り返された。アーティストに起業家、宇宙飛行士に石油王。私は彼が思いつくありとあらゆる夢を消した。

そしてついに、彼は夢を失った虚無感で部屋に引きこもるようになってしまった。

私は物置部屋をノックした。返事はなかった。夕飯を部屋の前に置く。すると玄関のチャイムが鳴った。宅配だろうか。

玄関を開けると、あの怪しげなサラリーマンが立っていた。

「お困りですか、奥さん」

見たことがある光景だった。

黙ってドアを閉めようとしたが、サラリーマンはそれを体で止める。

「お困りなんでしょう。ええ。わかりますよ」

彼の顔が数段不気味に見える。

「だから、何なんですか。帰ってください」

両手でドアを閉めようとするが、サラリーマンはまったく動かない。

「あなたのパートナーを夢に戻せると言ったら?」

鳥肌が背筋をつたう。がちゃがちゃとドアノブが鳴るも、サラリーマンは地面に縫い付けられているがごとく、ぴくりともしない。

「ええ。どうしたら戻せるのか、ですって? 教えて差し上げましょうか。今すぐに」

「やめて。ねえ、お願いだから帰って」

サラリーマンは私に構わず、黒々とした手提げカバンに静かに手を忍ばた。そして、それを私に見せつけると、にやりと顔をゆがませて言った。

「これは、夢えんぴつと申します」

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