アラートが鳴った。
スマホを寝ぼけ眼で見る。
七時。
間違えてスヌーズを押さないように指を滑らせる。
夢……じゃなかったか。
割れた窓ガラスを見る。
どこか遠くで鳥の鳴く声が聞こえる。
後ろを振り返ると、長い袖のパジャマを着た女子高生がすやすやと寝息を立てていた。
端正で滑らかな顔立ち。
まるで人形のようだ。
もう少し、寝かせよう。
何も慌てる必要はない。
時間はいくらでもあるのだ。
学校も、宿題も、いまいましい受験も、何もかもなくなったのだから。
オサムが出発に向けてリュックに荷物を詰めていると、隣から起き上がる気配がした。
彼女は目をこすり、こちらを見る。
「ん……? アダチくん……?」
どうして私はオサムと一緒にいるのか、不思議でしょうがない。
そんな感じだった。
脇から冷や汗が出た。
もしかして、また記憶が無くなったのか?
明日になると記憶が消える少年の映画が頭に浮かぶ。
イブキは能天気にあくびをして、外を見た。
「そっか。《ポストエデン》、だったよね」
いつものように白い歯をちらりと見せた。
オサムは胸を撫で下ろした。
どうやら寝ぼけていただけだったらしい。
心臓がきりきりと傷んだ。
「朝ごはん食べたら、出発するよ」
「うんっ。歯磨いてくるー!」
わー、と子どもみたく無邪気に走るイブキを見て、思わず愛おしくなる。
これが母性ってやつか。
いや、父性か?
……いや、何を考えているんだ僕は。
二人は朝ごはんを食べ終わると支度を済ませ、玄関を出た。
外は快晴だった。
五月中旬ぐらいだろうか。
見上げても見下ろしても新緑で満たされている。
深呼吸をする。
草の香りがした。
「準備万端! レッツゴー!」
イブキは右手を掲げて先陣を切った。
今日もはつらつとしている。
「あっ」
気づいたように小さくつぶやくと、こちらに振り向いた。
「……?」
「今日もよろしくね。安達くんっ!」
白く滑らかな手のひらを差し出す。
オサムは呆然とした顔を笑顔に変えて、その手を握り返した。
「なんだ。こちらこそ」
朝の日差しがより輝いて見えた。
「ダメだって!」
「いいじゃん、ちょっとくらいー」
「ダメ! 食料少ないのわかってるだろ?」
「ああ。死ぬ。お腹減って死んじゃう」
「はあ……」
頭を抱えた。
あの勢いは一体どこへ?
「少なくとも昼までは我慢してくれよ。学校に何かあったら、それ食べていいからさ」
オサムたちは一度、学校に戻ることにした。
自分たち以外にも残っている生徒がいるかもしれないという希望、そして今後生きていくための情報を得るためだった。
「もし我慢できなかったら……?」
「もし我慢できなかったら……」
オサムの顔に暗い影が落ちる。
「そのときは、おまえを食べてやるからなああ!」
「それって、下ネタ?」
「っ!? い、いや、ちがうし。そういう意味じゃないから」
思わぬ返しでツンデレのようになってしまった。
イブキはにやにやしながらこちらを見てくる。
なんかムカつく。
とはいえ、食料が少ないのは事実だった。
それに学校に食物が置いてあるとは思えない。
非常用を期待するだけだった。
「……とにかく、僕は図書館で何か使える本を探すから、イブキは生存者、ついでに食料を探してほしい」
「りょーかい! ……あっ!」
「どうした?」
「最初に、職員室に寄っていい?」
「そうだね。先生たちもいるかもしれない」
「そうじゃなくて、マサヤンのうわさを確かめたくて」
「マサヤン……?」
「えーと、ほら、本名なんだっけ……。国語の先生だよ」
「ああ。井上先生?」
「そうそう。井上雅孝先生。メグミンと恋仲のうわさだったんだー」
「メグミン……?」
「本名は……ああっ。メグミンは、メグミンだよっ!」
「そんなこと言われても……」
今までイブキとそんな会話をしたことがなかったので、よくわからなかった。
「保険の先生だよっ!」
「わかったよ。なんか、ごめん」
「それで、マサヤンの机に二人の写真が置いてあったって、コジコジが言っててさー」
もう、スルーしよう。話が進まない。
「安達くんも来てよ」
「ええ……」
正直、そういううわさには興味がない。教師の恋愛を知ってどうするんだ?
「証人として、ね?」
「うーん……。わかったよ」
明日の食料もままならないというのに……。
まあ、ちょっとくらい大丈夫か。
会話もそこそこに、学校にたどり着いた。
学校というより、廃墟に近い。
壁がもろく崩れ、草木がはびこっている。もうあの頃の校舎ではない。
上履きに変える必要はないのに、普段の癖で下駄箱に向かう。
長年の影響で錆び付いていた。
「職員室、だったよね」
「うん」
二人はそのまま、職員室に足を運んだ。