青年たちは住宅街の中を歩いていた。
コンクリートにはひびがはいり、電柱は倒れ、あらゆるところから雑草が生えていた。
ひどい有様だ。
彼らの行き先は、オサムの自宅だった。
誰かがいるかもしれない、という期待もあるがどちらにせよ寝床が必要だった。
もうすぐ、あたりは真っ暗になるだろう。
オサムは目の前に倒れた電柱を見た。
街灯はボロボロにはがれおち、直の蛍光灯があらわになっている。
とてもその光が点くとは思えない。
「よっと」
イブキが電柱を軽々と乗り越える。
「ねえ。早くしないと、本当に日が暮れちゃうよ!」
「うん。分かってるよ」
波が立る踊り場で、先ほどまで話していたことを思い出した。
三年じゃなくて、二年、でしょ。
その言葉ですべてに納得がいった。
彼女は一年前までの記憶を失っているのだ。
ハキハキと澄んだ声。
天然な性格のなかで時々見せる、凛とした天才の風格。
それは、僕がずっと憧れてきた、ずっと大好きだった、彼女の姿だった。
思えば、そこから彼女の様子が変わった気がする。
どこか影が差したような感じがした。
「先、行っとくねー!」
イブキの声で我に返った。
今はそれどころではない。
急がないと。
微妙な高さだ。
道の端の、大きくなった隙間から四つん這いで穴を抜ける。
正直、僕は運動が得意ではない。
「ふう」
やっとのことで電柱を抜け、曲がり角を曲がった。
「うっ……」
見た先ではさっきとは比べものにならない数の電柱が倒れ、映画に出てくるレーザー網のごとく張り巡らされていた。
帰宅路に電柱がこれほどあったなんて。
「安達くん、はーやーくー!」
イブキはその先にいた。
遠すぎて、まるで米粒がしゃべっているように見える。
本当に日が落ちる前に帰れるのか……?
はあー、と深いため息をついた。
「ぜえ、ぜえ」
糸の切れた人形のように、オサムは電柱に倒れこんだ。
結局、あたりは真っ暗になっていたが、オサムの自宅は目の前だった。
「……大丈夫? 安達くん」
オサムのただならぬ様子を見て、イブキは心配そうに言った。
思わず泣きそうになった。
それは、心配してくれたという嬉しさからなのか、急かしたのはあんただろという悲しさからなのか、よくわからない。
ちなみにこの『安達くん』というのは昔の僕の呼び名だ。
呼びかたが違うだけで、心の距離が遠くなるのを感じる。
「大丈夫。……イブキと違って運動音痴だけど」
僕も彼女を『五条さん』と、昔の呼び名で呼ぼうか迷ったけどやめた。
これ以上距離を感じたくなかった。
「お茶。飲んで」
学校指定のカバンから赤の水筒を取り出すとふたを開け、お茶を注いだ。
それをそっとオサムに差し出す。
しかし、彼は首を振った。
「貴重な水分なんだ。そんな簡単に消費するわけにはいかないよ」
「……いいからっ! ほらっ!」
ぐいぐいと強引にカップをほっぺたに押し付けてくる。
……なんで、ほっぺた?
「わかった、わかったよ。ありがとう」
その気迫に負け、体を起こし、カップをもらう。
そして、口をつける寸前、その手が止まった。
顔に血が昇るのを感じる。
これはいわゆる間接キスでは?
「?」
イブキはキョトンとしてこちらを見つめている。
周りが暗くて、おそらくその顔に気づいていない。
どうする?
断るか? 飲むか?
どうすればいい……!
心の中で叫びつつ、必死に頭をフル回転させた。
待て待て、落ち着け。
イブキは最初会ったとき、学校が休みかどうかの話をしていた。
つまり、これは朝の水筒だ。
まだ口につけていないはず……!
覚悟を決めると、それを一気に飲み干した。
「ごほ、ごほっ!」
思わずむせた。
思っていたより、量が多かったようだ。
「大丈夫? ねえ、さっきからすごく心配なんだけど」
今日一日まったく水分をとっていなかったからか、それとも彼女のお茶だからか、全身に染み渡ったような気がした。