ザアア……。
階段に海水が満ち、波が踊り場に寄せる。
踊り場に横たわっている彼女は……。
「イブキ……!」
オサムは階段を駆け降りた。
なぜ死んだ彼女がここにいるのか?
いつからそこにいるのか?
そんな冷静なことはどうでもよかった。
ただ胸の中にたぎる熱さが彼の原動力だった。
あの日と同じ紺色のセーター、艶のある髪、閉じられたまぶた。
息を切らして、彼女のそばにかがむとその身を起こして抱えた。
あの日、血を流した彼女にしたように。
しかし、感触はあの日とは少し違った。
強烈な鉄の匂いはなく、頬に赤みを帯びている。
薄い唇から呼吸の声がする。
オサムの頬から水滴がボロボロと落ちる。
「生き……てる。よかった……。よが……ったあ……!」
しばらく嗚咽が止まらなかった。
イブキが生きている。
ただそれだけですべてが報われた。
生きる意味が生まれた。
彼女はずっと、僕の心の支えだった。
隣にいてくれるだけで、希望があふれてきて、なんでもできるような気がした。
ここは、夢の中なのかもしれない。
現実のイブキはもう死んでいるのかもしれない。
でも、そんなのは関係なかった。
彼女に会えるのならば、地獄でもよろこんでこの身を差し出そう。
ふと、彼女のまぶたが動いたかと思うと、うっすらとその目が開いた。
「イブキ!」
彼女の視線がこちらを向いた。
「安達……くん?」
懐かしい声だった。
最後に交わした会話のような刺々しさはなく、澄んでいて、ハキハキとしていた。
「ケガとかない? 大丈夫?」
「う……うん。何かあったの?」
イブキは身を起こし、あたりを見回した。
「ここ、どこ? 見たことあるような気がするけど……」
「高校の近くの商店街、らしい。なぜか長い年月が経っているようだけど」
オサムの困り眉がさらに垂れ下がる。しかし、それに対してイブキはにんまりと、その白い歯を見せた。
「これって、もしかして休校かな?」
「え……?」
「今日模試だったよね? 勉強してなかったんだー」
ラッキー、と片手でガッツポーズを取った。
何を呑気な。
周りの建物がボロボロで、今にも崩れようとしているのに。
しかし、それよりも。
オサムはうつむいた。
「模試も何も、もう受験は終わっただろ」
そう、元いた世界は三年の三月。
受験はもう終わったのだ。
それと同時に、イブキも……。
彼女はキョトンとした顔で言った。
「どういうこと?」
どういうこと、とはこちらのセリフだ。
オサムは顔をしかめた。
あの日のことは思い出したくもない。
血まみれになったイブキが目の前と重なる。
「もともと三年の三月だったろ。今は違うけど」
「え?」
イブキも顔をしかめた。
ますます分からないといった表情だ。
「三年じゃなくて、二年、でしょ」
「……!」
オサムははっとした。
さっきから何か様子がおかしいと思ったら、そういうことか。
海から来た生暖かい風が、二人の間を通り抜けていった。