「あいつ。あれからよくもぬけぬけと顔を出せたものね」
間塩マホは後ろをちらりと振り向きました。あいつとは他の誰でもない、白井雪のことです。
「昨日はあいつに逃げられるわ。それで先生に怒られて、トイレ掃除させられるわで散々だったわ」
マホは鋭い目でユキをにらめつけました。
「……今日は、逃がさないわよ」
一方ユキは授業を受けながら、昨日のことを思い出していました。
一通りの自己紹介を終え、短髪メガネのトオルは言いました。
「ここのことか? うーん。正直、言いづらいのだが……。ここはアニメーション研究会と言ってアニメの研究をしているが……アニメ以外も研究していて……」
「二次元全般を研究しているオタクサークル。いわゆるオタサーだお!」
太った男ダイキがフィギュアを掲げていいました。
「お、おい!」
「隠しても意味ないお。彼女はもう部員みたいなものだし。ちなみにトオルは部長だお」
「……はあ。このことは絶対に口外してはいけないぞ。魔女に居場所がバレては困るからな」
くせっ毛のショウスケが言いました。
「ちょっと待ちーな。魔女って誰のことやねん?」
「いじめっ子の間塩マホのことに決まってんじゃーん。ほら、『間塩』と『魔女』で語呂が似てるしねー」
「そういうことかい……」
「とにかく。毎回やつの目を盗んで、ここにやってくるのは大変だろうが頑張ってくれ。部室には必ず誰かがいるようにする。魔女を部室に入れんじゃないぞ……」
トオルの声が徐々に小さくなっていきました。
「……い、おい、白井! ボーとして。ちゃんと聞いているのか?」
ユキははっとして気づきました。
「す、すみません」
ふんと鼻息を鳴らし、教師は黒板に向かいました。クラスの女子たちがざわついています。ささやきごえでこちらを見ながら話しているようです。
(私の味方はいないのでしょうか……)
ユキは悲しく心でつぶやきました。
放課後のことです。マホはユキのもとにゆっくり近づいていました。
「ゆっくり、自然に、そう、落ち着いて……」
そう言い聞かせないと、思わずユキに手が出てしまいそうでした。クラス中が見ているなかで、暴力はできません。マホはクラスの中では優等生として振る舞っていました。
マホが何気なく近づいているにもかかわらず、ユキはマホに気づくと一目散に逃げ出しました。
「あ! 待ちなさい!」
マホはその後を追いかけました。
「はあ、はあ。逃げ足が速いのが厄介ね」
昨日と同じ校庭の真ん中でユキの姿を見失ってしまいました。しかし、彼女はそう簡単に諦めませんでした。
微笑むユキの美しさが脳裏に浮かびました。
「あいつをこのまま放っておくものか」
マホは怒りで腕の震えが抑えきれませんでした。
「そう。校庭は広いんだから、そう簡単に見失うはずがないわ。きっと近くにいるはず」
ふと脇道の茂みが目に入りました。人が入ったかのように不自然にくぼんでいます。マホは引き裂けんばかりに微笑み、そのどうもうな目を光らせました。
ユキは部室に辿り着きました。ドアをノックすると、奥から声が聞こえてきます。
「……合言葉は?」
「萌え萌えキュンの、にゃんにゃんにゃん」
「……よし、入れ」
ドアが開きました。見ると白パーカーを制服の中に着込んだカズキが立っています。
「やっほー。今日は大丈夫だった?」
「はい。なんとか逃げてきました」
「そっか。ちなみに合言葉制度は今日で終わりね。飽きたから」
「!?」
カズキは部室の奥へ向かいました。ユキも中に入ります。相変わらず部屋は汚いままでした。
「いちいち一人部室につけなくても大丈夫なのにさー。あの部長、真面目すぎんだよね」
ユキがテーブルの前で正座をすると、カズキがやってきました。両手には紙コップを持っています。
「はい。テキトーにオレンジにしたよ。嫌なら自分でどうぞ」
「ありがとうございます」
カズキはコップをテーブルに置くと、大の字に寝転びました。床の漫画などお構いなしです。
「あの……」
「あ、そうそう。オレがここにいる間は、掃除しないでね。この配置が気に入っているから」
「はい。分かりました」
しばらく沈黙が続きました。ユキは少し気まずい気持ちになりました。
「ねえ」
「はい」
「何か、言いたいことあったんじゃないの?」
「いえ、大したことではありませんから」
「気になるなー。なんだろう」
「いえ、本当に何でもありません」
「教えてよー」
「大丈夫です」
「なあ」
「はい……?」
カズキの雰囲気が急に変わって、ユキは驚きました。空気が張り詰め、何か黒々としたものを感じました。
「誰のために、ここにいると思ってんだ。本当はこんな面倒なことはごめんだから。昨日も言ったよな。君を助ける義理はないってな」
「……すみません」
「……なーんてね。オレって演技の才能あるんだよねー。引っかかったー」
カズキは無邪気に笑いました。あの黒々した空気はいつの間にか消えて無くなっていました。
気のせい、でしょうか。
「カズキさんは……」
「あー。カズキでいいよ。タメでしょ?」
「……カズキは、どうしてこの部活に入ったん、ですか?」
「はは。タメでいいっつってんのに。うーん。そうだなー。なんか面白そーだったから。それだけかな」
「そうですか。なんか、それっぽいですね」
「おい。どーいう意味だよ、それー」
二人は笑い合いました。