全国民が安らぐ日曜日。乙女は友達と一緒に電車に乗っていた。
「これでうまく行ったら苦労しないよねー」
乙女たちは、恋愛成就で有名な神社にお参りに行っていた。今はその帰りだった。
「気持ちの問題なんだよ。諦めんなよ。もっと熱くなれよお!」
乙女はガッツポーズで気合いを入れるフリをした。友達は笑った。
「乙女はいいじゃん。あのお姉さんに予言されてさー」
「いやいや、あれはお世辞だよ」
乙女はお守りを買った際、境内のお姉さんに言われたことを思い出した。
「あなた、明日『恋のきっかけ』があるかもしれないわね」
ど直球だった。
乙女はお世辞だと思ったが、内心どこかで期待していた。
「明日楽しみだね。このこの」
「ちょっと、やめてよ。ちょ、痛。まじでやめて」
「え……ごめん」
そして翌朝。乙女は大慌てで家を出ていた。昨夜は全然眠れなかったのだ。
運動はあまり得意じゃないが、なんとか時間内には間に合いそうだ。
「遅刻、遅刻ー」
もはや、典型的なそれだった。しかし食パンはくわえていない。行儀がよくないからだ。
行儀に礼儀、恩義に忠義。乙女は義理堅いタイプのJKだった。
曲がり角を曲がろうとした瞬間。体が飛ばされて、その場に倒れた。誰かにぶつかったようだ。
「痛ったあ、すみません」
「痛って……」
ぶつかった相手に乙女は驚いた。
「ハヤト君……?」
「なんだ、乙女じゃん。こんな時間に珍しいな。早くしねーと遅刻するぞ」
乙女は思わずくすくすと笑った。
「それはハヤト君も、だよね」
「うるせー。オレのことはいいから。ほら、早く」
ハヤトは乙女の手を取って立たせると、そのまま彼女を連れて走り出した。
走っている間、乙女は思った。
もしかして、お姉さんが言っていた『恋のきっかけ』ってこのこと!?
ハヤトがサッカー部のエースなだけあって、なんとか遅刻はまぬがれた。
「はあ、はあ、ありがとう。ハヤト君」
「ああ、走るのは慣れているからな。また遅刻しそうになったら呼んでくれ。じゃあな」
そういって爽やかに手を振ると、ハヤトは乙女を後にした。乙女の心臓は爆発寸前だった。
ハヤトは学年一、二を争う人気者だった。外交的で明るいその性格は、どんなに落ち込んでいても立ち直る勇気をくれる。
でも。乙女は思った。
「これは恋のきっかけじゃない」
このドキドキは走ったからであって、恋愛のドキドキとは少し違うような気がした。
「吊り橋効果ってやつ?」
乙女はがっくり肩を落として、自分の教室へと向かった。
そして、昼休みの入ったときのこと。
「乙女。このノートを職員室まで運んできてくれ」
「ええ……」
ここに至るまで、恋愛のきっかけがなかったことに落ち込んでいる乙女への追い討ちだった。
「これこそまさに、泣きっ面にハチ?」
乙女は覚えたてのことわざを使いたがるタイプのJKだった。
乙女は仕方がなくノートを抱えた。四十人分のノートの重さは異常だ。いち女子高生が手に負える相手ではない。ふらふらしながら職員室へ向かおうとしたとき。
「おい、大丈夫か」
後ろから渋い声が聞こえた。振り向くと、短髪で背の高い男が立っている。乙女は驚きで四十人分のノートを足元に落としそうになった。
「ヒサシ君……?」
彼はヒサシだった。彼はいつも教室の隅で窓の外ばかり見ていて、近寄り難いオーラを放っている。しかし、彼はバスケ部に熱く、そのプレイは女子たちの目を釘付けにしていた。
「手伝おうか」
「いや、大丈夫。ありがとう」
「そうか。……いや、やっぱり半分持ってやる」
そう言うと彼は、彼女の超重量級ノートを半ば強引に奪って職員室へ向かった。乙女が持っているノートはたかだか数冊だった。
乙女は呆然としたが、すぐにはっとしてヒサシの後を追った。
無事に任務を終え、職員室から出ると、乙女はヒサシに言った。
「ありがとう。ヒサシ君がこんなに優しいなんて意外だったよ」
ヒサシは頭をかいて、そっぽを向いた。
「ああ。その、なんだ。困っているやつを見ると、放っておけなくてな」
もしかして、これが『恋のきっかけ』なの……?
「よかったら、このまま一緒に昼ごはん食べよ?」
つい言葉に出てしまった。乙女ははっとして、口をふさぐ。相当こじらせていると思われたに違いない。
ヒサシは真剣に悩むと答えた。
「すまない。ダチが待っているからな。やつらも放ってはおけん」
「そっか、ごめんね」
「いや、こちらこそ。また一緒に飯を食おう」
そう言うと、ヒサシはすたすたと去ってしまった。どうやらきっかけではなかったらしい。
乙女はまたもやがっかりしたが、少しほっとした部分もあった。相当こじらせていることがバレなくて助かった。
教室に戻ると、友達はすでに食堂へ向かっているようだった。今からだと行き違いになるだけ。そう思った彼女は、弁当を持って学校の屋上へ向かった。
屋上は日差しが当たって、ぽかぽかと暖かい。しかし、乙女の心には隙間風が吹いていた。弁当を食べている間は、誰も来なかった。
彼女は弁当箱に残った、たった一つのミニトマトを見てため息をついた。どうしてもお腹がいっぱいで、これだけは食べられなかったのだ。決して嫌いだからではない。決して。
そして乙女はそれを見つめながら、不安に思った。
やっぱり、お姉さんが言っていたことはお世辞だったのかも。このままずっと独り身は嫌だよお。
入学前はもっと甘酸っぱい生活を思い描いたけど、気付けば友達とずっと一緒にいて。それはそれで楽しいけど、今しかできない青春を私はもっと楽しみたいな。なんて。
「……」
乙女はミニトマトをラップに包むと、それをポケットに入れ、教室に戻った。彼女は多少はしたないタイプのJKだった。
いつも通り時間が過ぎ、放課後のチャイムがなった。結局、『恋のきっかけ』なんてものはなかった。乙女はお告げを真面目に信じた自分に、馬鹿馬鹿しくなった。
カバンに教科書をしまい、帰宅の準備をすると、ふとミニトマトのことを思い出した。そういえば、後で食べようと思っていたのだった。
乙女はポケットからそれを取り出し、ラップを開けて食べようとした。すると、
「あ……」
ミニトマトは手からこぼれ落ち、教室の床を転がった。落ちたミニトマトを拾おうと、手を伸ばしたそのとき。
手と手が触れた。
「あ、ごめんなさい」
横を見るとそこには、どこにでもいそうなごく普通の男子高校生がいた。
彼はタロウだった。彼は学年一、二を争う凡人。女性の人気について、特筆することはないし、正直書く気にもならない。
タロウはミニトマトを拾うと、立ち上がって言った。
「これ、落としたよ」
そしてミニトマトを振りかぶると、乙女の口に思い切りつっこんだ。水気が飛んで、夕日にきらきらと輝く。
トゥンク……。乙女は衛生の概念を忘れ、気付けば、恋に落ちていた。