感動したい

【フリー小説】つぼみ

つぼみ

男は春が好きだった。厳密に言えば、春に咲く桜が好きだった。ほんのりただよう奥ゆかしさも、一度に開く壮大さも、その全てが好きだった。

そして、男は貧乏だった。だらしない性格をしていて、働こうにも夏は暑いから動きたくないし、冬は寒いからもっと動きたくない。外出できるのは春か秋ぐらいなものだが、その季節はどちらも散策で忙しい。貴重な季節の色をキャンバスに写すのが、彼の趣味だった。

しかし、さすがに生活に困るようになってきて、男は焦り始めた。男はひとつ、一儲けをしたくなってきた。コツコツと少しづつ貯めるのは好きじゃない。ここで大きく当てて、すべてを趣味に注ぎ込みこもう。これから様々な表情の桜に囲まれることを想像すると、興奮が抑えきれなかった。

しかし、一儲けというのはそう簡単ではなかった。常に周りに対してアンテナをはっていないと、金儲けの絶好の機会を逃しかねない。その春、男はそのチャンスを逃すまいと様々な場所におもむいていた。今日訪れた植物園も、その一つだった。

植物園は最近できたものらしかった。今までに見たこともないような草花が、世界中から寄せられていた。男はその珍しい花々のひとつひとつに感動していた。高い入場料を払った価値があるというものだ。もちろんその中に儲けの可能性があるかどうか、アンテナを張ることも忘れてはいなかった。

そして男はついに、その可能性を発見した。それは桜だった。しかしただの桜ではない。大きく、力強い立ち姿にもかかわらず、その枝葉は繊細で、おしとやかだった。そして特徴的なのは、世間ではもうすっかり春だというのに、花はすべてつぼみであることだった。薄い桃色で覆われ、今にも力一杯咲きそうなつぼみだ。桜の木全体が開花という一大イベントに向けて、裏でこっそり、それでいて大慌てに準備をしているように見えた。

これだ。男は直感的に思った。これの満開を筆に取り、一枚の大作にしよう。誰よりも細かく、力強く。幸い男には絵画の才能があった。趣味で描いた風景画であっても、周りから感心されることはざらにあった。大作を描くのは初めてだったが、できないことはあるまい。きっと高く買ってくれる人はいるはずだ。

しかし男はそうと決めたものの、それには大きな問題があった。それは、桜がいつ開花するのがわからないということだ。こればかりは毎日訪ねるしか知る方法がなかった。誰かに先を越されては困るのだ。

それからというものの、男は毎日植物園を訪れるようになった。決して安くはない入場料だったが、すぐにもとは取れる。誰も見たことがない、開花の決定的瞬間を捉える方が先決だった。つぼみが素晴らしくて、満開でそうならないはずがない。たんたんと男は筆を持って幻の桜のもとへ訪れるのであった。

そして、ついに男の資金が底をついてしまった。もともと少なかったものだから、すぐにそうなった。しかし男は予感していた。今日だ。今日、桜が咲く。この桜マニアが言うのだから間違いない。もし今日、咲いていなかったら……。いや、後ろ向きなことを考えるのはやめよう。つらくなるだけだ。男は緊張した面持ちで桜の元へ向かった。

植物園で最後のお金を払い、桜の前にたどりついたとき、男は衝撃を受けた。

桜は開花していなかった。というよりも、桜がその場から消えていた。つぼみとか、満開とか、そういうレベルの話ではない。桜自体が目の前から消えてなくなっていた。

男が状況に理解できず、口をぽかんと開けてたたずんでいるなか、どこからともなく植物園の係員がやってきた。

「お客さんすみません、昨日でシーズンキャンペーンが終わってしまったんですよ。毎日きてくださってましたから、よほどあのレプリカが気に入っていたようですね。あれ、模造品にしては完成度がすごかったですよね。なんでもベテランの職人が、開花する直前のつぼみが好きな桜マニアに向けて作ったそうですよ。本当に開花するんじゃないかと思わせる職人技でしたね……」

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ぱっちー
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