こんにちは、ちゃちゃまるです。
感動するストーリーを考えるにあたって、一冊の本を紹介したいと思います。
本書は「どうすれば人は幸せに生きることができるか」
という哲学的な問いに対して、具体的な答えを物語形式で説明してくれる哲学書です。
今回は、小説を書くのに哲学が役立つ理由と、本書から学べる人生で大切なものについて解説していきたいと思います。
小説を書くのに哲学が役立つ理由
小説と哲学。
一見、この二つは結びつかないような気がしますが、実は密接な関係があるのです。
そもそも、私たちが小説を書く理由とはなんなんでしょう?
かっこいいシーンやエモいシーンを書くため?
主人公の葛藤を表現するため?
それもそうですが、これらの裏には大きな理由が隠されています。
「何が人生で大事なのか」を読者に伝えるためです。
物語を描くということは、主人公の人生を描くということです。
つまり、登場人物の人生を通して、読者にメッセージを伝える。
確かに、エンターテイメントとして、ド派手なアクションはあるかもしれませんが、
優れた物語には道徳が隠れているのです。
私たちは「何が人生で大事なのか」を、わかっていないといけません。
読者に伝えるメッセージが薄いと、小説の感動も薄れてしまいます。
「何が人生で大事なのかって、そんなのだいたいわかるよ」
と思う方もいるかもしれません。
確かに、今まで生きてきたのなら、大事なものなど、だいたいわかるかもしれませんね。
自由、愛情、友情、勇気など。
しかし、本当にそれで必要十分でしょうか?
もしかしたら、まだ見ぬ宝物があるのでは?
自分で考えているだけでは限界があります。
「嫌われる勇気」には、「心理学の三大巨頭」と称された偉人のひとり、アドラーの考えが詰まっています。
長年の学問で培った知識がここにあります。
ひとりで悶々と考えるより、巨人の肩を借りるというのもアリなのです。
小説と哲学については、以下の記事でも説明していますのでご参考に。
アドラーが言う、人生で大切なもの
さて、では「嫌われる勇気」で語られる「人生で大切なもの」とはいったい何なんでしょう。
早速ですが、本書では人生の目標を以下のように挙げています。
行動面の目標
- 自立すること
- 社会と調和して暮らせること
この行動を支える心理面の目標
- わたしには能力がある、という意識
- 人々はわたしの仲間である、という意識
これらの目標を意識した生き方が、人生で大事なことだということです。
自立すること
自立することとは、世界が主観的なものであるということを理解して、自分の人生を歩むということです。
世界が主観的というのは、
例えば、洗面台の水を流す時、かじかんだ手で触ると温かく感じ、暑い外から帰ってきた手で触ると冷たく感じるというようなこと。
つまり、五感を通して自分が感じたことが世界のすべてである、ということです。
自分の主観がすべての世界で、他人の顔色ばかり伺っててはいけないよということです。
社会と調和して暮らせること
社会と調和して暮らせることとは、自分という主観の世界を理解して、自分と他人は違うものなんだということを理解して、それでもなお、誰かのために行動をするということです。
アドラーは「他者貢献」を通じて、私は世界の一部なんだという所属感(共同体感覚という)を得ることができると言っています。
わたしには能力がある、という意識
「わたしには能力がある」という意識は、要するに「わたしには生きていけるだけの能力がある」ということを自覚するということです。
なんだかんだ悩み事があっても、現にわたしたちはここまで生きて来れたのです。
幸せという感覚はそこから生まれるのです。
言い換えると、わたしたちは存在するだけでも価値がある、ということです。
ボランティアなど何か特別なことをしなくても良いのです。
人々はわたしの仲間である、という意識
最後に、「人々はわたしの仲間である」という意識ですが、これは「他者貢献」にもつながります。
不幸に感じる時は、周りが敵に見えるものですが、そこは見方を変えるのです。
「みんなのおかげで、わたしは生きていけるのだ」
アドラーが説く世界では、人間関係に上下はありません。
人間として同等。
敵ではなく、味方なのです。
味方を無条件に信じることが大事です。
まとめ
以上、嫌われる勇気のエッセンスの部分を語ってきました。
詳しくは、本書を見て欲しいのですが、
正直、これを小説に当てはめるとなると難しいです。
特に、一般的な真実をそうではないと否定するところが難所(言葉で直接伝えるのではなく、主人公の行動によって間接的に示さないといけないのです)。
しかし、人生で大切なものを知ることは、感動的な物語をつくる第一歩なのです。
学びから徐々に物語へつなげていきましょう。
それでは、また。
嫌われる勇気を読むと、手が震える。
なぜなら、語られているのは人生の真理だと確信するからだ。