額から出た汗は、頬をつたい、あごの先から落ちる。その先はパレットの白。
筆は、一心不乱にそのパレットをかき回す。純粋な白が微かに濁った。
N氏は画家だった。数々の賞も授与されていおり、地位も名声も人並みにあった。
そして彼は今、自身の展示室に飾る絵を描いていた。
それは龍だった。緻密なウロコ、迫力のあるヒゲ。すべてが荘厳で、力強くも美しい。
しかし完成間近にもかかわらず、彼は一向に悩んでいた。どうも龍の白目が気に食わない。ウロコやヒゲはすぐに納得がいったというのに。
絵の具から出された白は、そのままでは白すぎる。黒を混ぜるが、その加減がうまくいかず、すぐ使えなくなってしまう。
そうして試行錯誤の地獄が始まった。
絵の具から白を出しては、別の色を混ぜることの繰り返しだった。夜はすでに更けていた。
そしてある時、指に激痛が走って、思わず筆を落とした。見てみると、指にできていたタコがつぶれている。しかし、彼は絆創膏でその処置をすると、またすぐに再開した。
指の痛みは治らなかった。しかし、納得する白を見つけるために、ここでやめるわけにはいかない。
彼は時が経つのを忘れ、ひたすら試行錯誤を続けた。
頭痛がする。
腰が悲鳴をあげる。
絆創膏に血がにじむ。
それでも、彼は苦痛に耐えて続けた。
そして、夜明けごろ、ついにそれは完成した。
見るも見事な、洗練された白だった。落ち着きと存在感の両立。主役の黒を最高に引き立たせる、名脇役と言ったところか。
彼は一息つくと、早速その白で龍を完成させた。完璧だった。白のおかげで全体が見事に調和されている。
そして、彼は一階の展示室にその絵を飾ると、しばしのあいだ悦に浸った。
「新作ですか?」
後ろから声をかけられた。朝の常連客だ。
「はい。たった今できたばかりの新作です」
「ほほう。やはり先生の作品は、いつ見ても素晴らしい」
「それはありがたいことです。ちなみに、この作品にはひとつ、こだわりがありまして……」
「ええ、みなまで言わずともわかりますよ。ウロコですね。この緻密さは先生ならではですから」